うつくしきもの

観劇ブログ

ミュージカル刀剣乱舞「阿津賀志山異聞」脚本構造読み※強烈なネタバレ注意

 

脳味噌が気持ちいい、ミュージカル刀剣乱舞脚本

刀ミュ脚本って観劇後切ないけれど空が晴れ渡るような感じがします。脳みそが気持ちいい。2015年秋のあのストーリーも何もなかった時期によくこんな脚本書いてきたな。歴史上の人物を史実として出す勇気。そして原作に無い(歴史)をもとにキャラクターを葛藤させる冒険心。審神者も出す屈強さ。すごい。その溢れる冒険活劇への熱意を称えたい。好きすぎてどうにかなりそう。好きなんだけど他所の本丸なので二次創作・・・というのでもなく、ひたすら好きでいるしかないけどチケットもないし観劇もできないし配信もDVDも擦り切れるほど見ているので無謀とは思いつつ構造読みをしてみました。国語かよ。脚本の勉強をしたわけじゃないので全然わからないしネットで拾った画像とウィキペディアを参照して作成しましたが愛だけは溢れています。

◎阿津賀志山異聞構造読みしてみた

 第一幕

f:id:hinoopera:20170402141218p:plain

 第二幕前半

f:id:hinoopera:20170402141724p:plain

第二幕後半

f:id:hinoopera:20170402141729p:plain

第三幕

f:id:hinoopera:20170402141308p:plain

以上!

◎登場刀剣男士

主演:加州清光

主演:今剣

準主演:岩融

助演:石切丸

助演:三日月宗近

助演:小狐丸

こんな感じですかね。用意されてる場所は2つあって、①本丸 ②歴史上の時間軸上。主役を定めるのも無粋ですが、加州と今剣がW主演って感じでいいのかな。①本丸パートの主役が加州で、②歴史上の時間軸の主役が今剣と岩融でしょうか。

 

◆基本のストーリー

①加州清光の隊長任命

②隊をまとめられない加州・岩融の葛藤・今剣の出奔

③岩融との対話を通して学び、石切丸の信頼を得、隊長として隊を率いる加州

④岩融との対話で今剣の問題が解決

⑤加州清光の任務達成

◆ストーリー上を走るエピソード

1.加州清光:人の心を持つ「物」、「刀剣男士」である加州清光の成長物語

2.今剣:逸話の中の「刀」としても役割と「刀剣男士」としての使命の間の葛藤の物語

3.岩融:「刀剣男士」としての使命を持ちながら、前の主との邂逅を果たし、「人の心」を学び受け入れ、仲間を救う救済の物語

4.石切丸:「人に望まれた刀」としての役割と「戦う刀剣男士」としての使命の間の葛藤の物語→加州に指摘されたことで自己の内包する「矛盾」を自覚した石切丸は、止めなければ加州が深堀したであろう会話を強引に打ち切って自らのエピソードを止めている。

三百年の子守唄への布石?

 

1.加州清光の成長物語

 さて、加州の話って、見ていてめちゃめちゃ脳みそが気持ちよくないですか?なんでだろう、と思っていたんですが、場面分けしてみてみると彼はすごく成長がわかりやすいキャラなんですね。常に前進している。素直さは美徳。

加州の登場シーンにフォーカスしてみていきましょう。

 

①加州清光の課題の提示

初めに隊長に任命され、喜ぶ加州くんに課題が提示されます。

「隊長として皆をまとめ、任務を達成する」

これが加州くんの課題です。加州くんは「厄介なことになっちゃったな」と思いながらセットアップが終わります。

②加州清光の課題解決のための試練の提示

次の登場シーンでは厄介な三条派を集合させるところから始まります。予想通り全然誰も言うこときかない。本当に大丈夫かなあこの編成で・・・と思う加州くん。ちなみにこのなかなか来ない三条派、三日月→小狐丸→岩融・今剣→石切丸の順でやってくるんですが、加州の課題になる人順で加州のところに来てますね。三日月は加州とはほぼ劇中でかかわりがなく、一番加州に優しいです。

③試練との対峙(直面)

さて第一部隊が出陣します。やってきたのは厚樫山。現われる時間遡行軍。ここでは出陣が済んでいて本当の戦場です。なのに加州くんはここでも命令を無視されます。誰も加州くんのいうことを聞きません。岩融の独断専行を許し、なし崩しで命令を変更する加州。「本当に大丈夫かなあこの編成で」が全然大丈夫じゃなかったことがわかります。不安の的中です。テンポがいいですね。

④加州清光の挫折(任務の不達成)

次の場面、敵を撃退しいい気分の加州くんです。ざっとこんなもんかな、という台詞には命令無視をされた辛さなど微塵も出てなくて素直でほんとかわいいなと思います。ところがそんないい気分も束の間、禍々しい気配がして、死んでいるはずの義経が出てくる。今剣が義経についていこうとする。ここから加州自身の資質と課題が明らかになります。場は混乱していますが、加州くんは取り敢えず戦うことする。史実が変わっているらしく何が何だかわからない、今剣は混乱している、敵の強さも未知数で簡単には勝てそうにない、この状況下で脇目も振らず猪突猛進する加州くん。今剣を心配して撤退を進言する石切丸の言を跳ねのけてしまいます。興奮状態の今剣は攻撃を受け軽傷。さらに撤退を求める石切丸。聞き入れない加州くん。見かねた三日月が撤退を提案し、小狐丸もそれに追従。年長二人に諌められたうえ流石に分が悪い空気になってきた加州くんはしぶしぶ撤退を宣言します。この撤退シーンですが、三日月は「ここは一度引いた方がいいと思うが・・・」と命令ではなくかなり控えめに提案をしています。三日月の演技の中でもかなりすきな部分なんですが、語尾がイイ感じに消える控えめさがあるんですね。言いきることの多い役なので目立ちます。マイペースじじいと見せかけて、三日月が一番加州を隊長としてたてているのです。

⑤加州清光の葛藤(仲間との衝突)

さて次の場面。加州くんは主への報告を終え、小狐丸、石切丸が座っている魔の座敷に気まずそうに躊躇いつつ入っていって座ります。

小狐丸は優しいので気まずい加州くんがしゃべりやすいように質問をしてくれます。加州くんは気まずさを吹き飛ばすように不自然に明るく主の話をするんですが、石切丸は加州の話をぶち切って「なんで撤退しなかったんだ」攻撃を繰り出します。冷静に話をしようと努める加州くんですが、石切丸の「すぐに撤退すべきだった」という断定台詞を聞き、ちょっとイラついたふうで軽傷ぐらいで撤退してたら任務を遂行できない、というわりかしまっとうとも思われる主張をします。石切丸は冷たく「隊長の君がそんな闇雲な戦い方をしていたのでは命がいくつあってもたりないな」とあからさまな嫌味を飛ばすのでついに激高し「刃が折れても、隊長が死んでも前進する。それが新選組の戦い方だ!」と言い返してしまいます。すかさず「ここは新撰組ではない。」と言い返され、挙句の果てに今剣が怪我をしたのはお前のせいだぞ的なことまで言われます。このシーン、小狐丸は何も言わずにいるんですけど、あのときどう思ってたんでしょうね。いつも結構顰め面をしていて、「子供相手にそこまで言うこともなかろうに・・・」と思ってそうだなと私は思った。石切丸に熨された加州くんは小狐丸に「自分と石切丸のどちらが正しいか」と尋ねますが、小狐丸は「答えは自分で導き出すものですよ」と言って去ってしまいます。

⑥加州清光の問題解決のための気付き

さて次の場面は加州君の課題達成のためのキーが明らかになります。今剣の出奔を岩融に告げる加州くん。岩融は激情にかられて大声をあげますが、すぐに冷静になり加州に心情を吐露します。「『肉体』の思う通りにならなさ」を語る岩融に、「肉体を得ることによって矛盾(心)が生まれるらしい」と話す加州。これは岩融が新刀剣男士だという設定が生きてる場面ですね。「心や感情は難しい」という岩融に同意する加州くん。岩融は大人なので仏教用語を持ち出して「物事は様々な因縁によって成り立っている」ことを話し、加州はそれを聞いて「どちらかが正しくてどちらかが間違っているわけではない」ということを知ります。見てると普通に流せるけど会話の流れがちょっと強引な箇所にも感じられますね。ただ加州くんは気まずさからみて石切丸の「撤退」の正しさもよくわかっていて、そのうえで進軍しようという自分の判断を曲げられなかったのですね。だから小狐丸に「どっちが正しいか」と尋ねたわけです。「どっちが正しいか」を念頭に置いたうえで岩融の話を聞いていると、確かにそういう方向になるかも。

全てを受け入れていくしかない、という岩融に、そうか、そうだよなあと嘆息する加州くん。石切丸とのイザコザ解決の糸口を得ます。さらに自分の不甲斐なさを言う岩融に、「仲間なんだし、一人で行くのはやめてくれ」と、隊長らしい言葉をかけられた加州くん。成長してますね。素晴らしい。

⑦加州清光の克服

さて再び出陣する第一部隊。加州くんは作戦を提案します。ここでは三条はひとまず加州のいうことをきいてくれます。ただし石切丸は作戦に反対し、加州の作戦は通らない。焦れる岩融は抜け道がないか探しに行く、と言って離脱します。それに追従する三日月。三日月が何故そんなことをするのかわからない加州に、小狐丸が「三日月は岩融を気遣っている」と説明してくれます。自分の隊長としての未熟さを自覚し恥じる加州を見て微笑む小狐丸。彼も大人なので石切丸と加州くんを置いて席を外してくれます。ここから課題解決の場面ですね。石切丸に対峙する加州くん。「隊長(刀剣男士)として正しい選択をしたが、仲間(人)としては間違っていたのかもしれない」という結論を出す加州くん。それを聞いた石切丸は「自分はあまり戦は好きでない」と語り出します。

 ★矛盾という名の蕾

 石切丸がディズニープリンセスになることに定評のあるこの曲。

石切丸は今剣にかなり同情的というか、一種自己投影しているのかなという感じがします。人の願いを聞いていた身として、戦いたくないけれど戦うしかない石切丸。守り刀でありながら義経を殺さねばならない今剣。

★「君にも身に覚えがあるのでは?」という石切丸の台詞

トライアルでは、

「刀の多くは命のやり取りを経てここにいるので心に矛盾を抱えている者も多い。」

「加州清光、君にも身に覚えがあるのでは?」

という会話になるのですが、

阿津賀志山異聞では

「みんなそれぞれ命のやり取りを経てここにいる」

「加州清光、君にも身に覚えがあるのでは?」

となっていますね。これは歌の流れがしょうがなかったのか、それとも加州清光が矛盾のない刀なのかどっちなのかですけど、加州くんも矛盾はあるのでなあ。そして阿津賀志山異聞の「みんなそれぞれ命のやり取りを経てここにいる」の「みんな」に加州が含まれてないのも変ですよね。だって加州は戦刀だものね。

 さて石切丸との今剣についての会話を通じて、石切丸自身の矛盾に気付く加州くん。「あんたも大きな矛盾を抱えていたんだね」という台詞によって石切丸の心に寄り添います。もっと話したそうな加州君ですが、石切丸は突然その会話を打ち切って作戦を提案。加州くんは一瞬肩透かしを食らったような顔をしますが石切丸の提案を聞いて喜び、二人で正面突破を目指します。

それを見て微笑む小狐丸。いいやつ。自分が出したなぞかけが解決していることを示します。

⑧加州清光の試練達成

次の場面では石切丸との共闘やひとまずの作戦の成功などが描かれ、加州が隊長として立派に役目を果たしたことが示されます。加州の課題はほぼこれで終了ですね。

あとは今剣を諌めるシーンもありますが、今剣を諌めるのは加州の言葉にヒントを得た岩融の仕事なので省略。

⑨加州清光の課題達成

全ての戦いが終わったのち、加州清光は審神者に隊長として任務の報告をします。審神者は「貴方は隊長として見事役割を果たしました」と評価し、加州の課題「隊長として皆をまとめ、任務を達成する」はコンプリートされ、物語が終わるのです。

すごいですね、こう書いてみると加州のシーンは無駄なところがないです。課題提示→問題発生→挫折・対立→克服・和解→大団円と流れていてそれはストレスフリーにもなるなあ。加州は行動が一貫しているので見ていて気持ちいキャラだなあと思いました。かわいいし。さとうりゅうじくんうまいし。

 

2.今剣:逸話の中の「刀」としても役割と「刀剣男士」としての役割の間の葛藤の物語

 今剣の物語は刀剣乱舞でも一番デリケートな「史実」「元の主」と「刀剣男士」の葛藤を描いている物語で、作中のテーマの根幹を担っています。加州くんのパートで好きなシーンというと私は「本当に大丈夫かなあ、この編成で・・・」というシーンが可愛くて好きなんですけど、今剣の好きなシーンは「ぼくにむずかしいことばかりいわないで」というところと、「ぼくのやくわりはなんだろう?」っていうシーンなんですね。要するに加州のエピソードと話の重さが全然違う。義経公の兄への思いを聞き、「だいじなのはやくわりなんですね」、「ぼくのやくわりはなんだろう」という今剣。これ本当に神な流れだと思いませんか・・・。今剣の役割は義経公を殺すことなんですよ・・・。史実でも、刀剣男士としての今でも。

 

さて次は今剣の動きにフォーカスしてストーリーを追います。さっき加州のストーリーはストレスフリーだと言いましたが、今剣も別にストレスがたまる構造ではなく常に前進はしています。ただ本当に、本当にかわいそうなだけなんだ・・・。

①今剣の過去

 今剣の物語はオープニングに暗示されます。今剣という刀剣男士の存在は出てきませんが、義経の自害のシーンで短刀(今剣とは拵えが違うようですが)が義経に「これはなに?」と語りかける。迷子の子供の様に呆然とした響き。義経自害の現実を受け入れられない様子が描かれます。

②今剣の過去へのトラウマの提示

 提示としてしまったんですが、ここは今剣が自分の持つ矛盾に引き摺り込まれていく導入部分ですね。ようやくやってきた岩融と楽しい日々を過ごす今剣の前に、突然「阿津賀志山への出陣」が言い渡され、①で暗示された今剣のトラウマが蘇ります。心配する岩融に「ぼくはだいじょうぶですよ」と返す今剣ですが・・・。

③今剣の役割の示唆

 さて、出陣した今剣と岩融には原作の回想があります。ここで「歴史を変えては何故いけないの?」「悲しいことがあっても、その先に我らがいるからだ」「むずかしいよ」の掛け合いがあります。原作の台詞で、今剣の刀剣男士としての役割の自覚に欠ける性質が窺えます。

③今剣の希望:義経についていくこと

 義経公との邂逅です。今剣の自己矛盾の根源である義経公との出会いのシーンですね。今剣はここで自分のやりたいことを作中に示します。義経についていきたいのが今剣という刀にのです。今剣は義経の元へ駆け寄ろうとしますが、仲間に阻まれてしまいます。意外と石切丸が一番に止めているのが印象的ですね。石切丸は多分最初から今剣を気遣っていたのでしょう。混乱状態の中軽傷を負い、加州の宣言で撤退します。

④理解者との衝突

 ★きらきら

「きっとどこかであの星をニコニコ見ている人がいる」というのは義経公のことだろうなあ。今剣は義経公が生きていたことを無邪気に喜んでいます。今剣は刀剣男士としての自覚はないキャラクターだということが示されます。今剣は義経公の守り刀なのです。今の役割や今の主への興味関心等は描かれません。嬉しそうな今剣の前に、岩融が現れます。「こんなにうれしいことがありますか?」という今剣にはじめは肯定していた岩融ですが、途中で「戦の時は戦に集中しなければ」「もしなにかあったら」と説教を始めます。今剣は笑って聞き入れず、義経公に会いに行きましょうと提案し、岩融は今剣をすごい剣幕で諌めてしまう。「我らの使命は歴史の流れを守ること」と説く岩融に、今剣はショックを受けた様子で「ぼくにむずかしいことばかりいわないで」と言い残してその場を去ってしまいます。

⑤今剣の希望の成就

義経と今剣が人として出会うシーンですね。今剣は義経の元へ行き、義経が願ったであろう兄弟の和解のために動きます。今剣の行動によって義経は頼朝の殺害を思いとどまることができ、今剣は義経に従えられてついていくことになります。

⑤今剣の課題の提示

義経の一行に加わった今剣は、弁慶と仲良くなります。弁慶に「義経に似ている」と言われ喜ぶ今剣、そして弁慶が岩融に似ているという会話。岩融との和解、そして今剣が岩融を完全に忘れてしまっているわけではないことが示されています。平和なシーンなんですが哀愁がありますよね。私はこの今剣の弁慶や義経とのかかわりのシーンすごく好きです。

弁慶がはけて義経公が出てきます。義経に質問をする今剣。ずっとききたいとおもっていた「何故頼朝と戦おうとしなかったのか」を義経に問いかけます。義経公は始めはぎくりとするものの、それでも真摯に今剣の質問に答えてくれます。国を治めることについては兄の方に才能があるという義経。「人には役割」があることを今剣に伝えます。今剣はよく理解できないけれど、「たいせつなのはやくわりなんですね」と復唱します。

「ぼくのやくわりはなんだろう」

と言ってかけだしていく今剣。観客はみんな今剣の役割をわかっているのです。身を引き裂かれるように辛かった・・・。

⑥今剣の試練

次の今剣の登場シーンは義経公の死後です。その時点で辛すぎる。義経という人格はもうなくなってしまってることに気付かない今剣は、義経のもとにやってきた仲間たちに「義経公の家来になりましょう」と誘います。ここは全く揺らがない刀剣男士。今剣は追い詰められて仲間に刃をむけます。「俺たちは刀剣男士なんだ!」という理屈を説く加州の声は全く届きません。

★おぼえている

「ぼくは義経公の守り刀」という歌詞があります。ここはトライアルだとそのままですね。これが今剣の選びたかった自分の役割。岩融と対峙し、どけと言われて怯む今剣は、それでもいやだと言ってそれを拒否します。守り刀でありながら義経を殺さなければならなかった、あのだいすきな元の主の血を浴びた刀としての役割を持つ自分。「史実」を変えたいという今剣の切実な思いがここで吐露されます。

岩融はその悲痛な声をきいて「お前は何も悪くない」と言って今剣を慰めます。

この超緊迫した場面で「お前は何も悪くない」という圧倒的な感情論を持ってくる岩融、痺れます。今まで今剣への説得は全て「お前の役割は刀剣男士として歴史の流れを守る事だ」という論調に終始しているんですが、役目そのものを拒否している今剣には一つも響いていません。ここで初めて岩融が今剣の気持ちに寄り添って「お前は悪くない」と語りかけることで、今剣はようやく自分のトラウマという肩の荷を少しだけ下ろすことができたんですね。実際、岩融の感情論は正直何の解決にもなりません。自分が悪くなかったら義経公が死んでもいいのか?ということで、全然よくないんですけど、「お前は悪くない」ということが彼らに与えられた最後の救済なんですよね。刀剣男士は選択肢を持っているように見せかけて実ははじめから何もないんですよ。歴史の流れを守ることをやめていいという選択肢はない。嫌でもなんでもやるしかないのです。そして再三それを語られ続けていた今剣も、本当は自分の役目をわかっていたのではないでしょうか。

⑦役目を果たす今剣

 さて材料が揃いましたね。岩融との和解を経て今剣は義経公と対峙します。義経公が弁慶を斬ったことで、最早彼が義経公その人でなくなっていることを悟る今剣。「あなたは義経公じゃない!」として今剣は義経を岩融と力を合わせて倒します。大団円、ですが、このシーンは今剣が刀剣男士としての役割を受け入れられたシーンではないんだなあ。「義経じゃない」から斬ったわけだし。

⑧役割を得る今剣

 義経公の守り刀としての役割を失い、刀剣男士としての役割もうまくうけとめられないまま、寄る辺のなく立っている今剣を、岩融が肩にかつぎます。「のちの世も、またのちの世も我とともにあることを」岩融は義経の辞世の句を引きながら、「今剣の傍にいることが自分の役割で、自分の傍にあることがお前の役割だ」と言って今剣の心に寄り添い慰めます。人間最後は感情なんだなあ、と私は思う。

今剣は岩融に与えられた自分の役割に納得し、はい、と言って笑います。

これで今剣の役割が新たに設定され、今剣の物語は終わるわけです。

大団円ですね!!!!!すごくいいシーンで大好きです。岩融役のさえきだいちくんの背中が凄いよい。(台無しだよ)

 今剣の物語は、加州のように単純な意識の変化や成長はありません。そのぶん「刀剣男士」としての役割と「人」としての心や情をもった存在であることへの矛盾とそのどうしようもなさが描かれています。これのどうしようもなさこそが「刀剣乱舞」の醍醐味ですよね・・・。

 

3.岩融:「刀剣男士」としての使命を持ちながら、前の主との邂逅を果たし、「人の心」を学び受け入れ、仲間を救う救済の物語

さて、岩融のストーリーですね。岩融はこの話だとめちゃくちゃいい役ですよね。ある程度達観した大人でありつつ、元の主を懐かしむ哀愁もありつつ、仲間の為に悩む姿はとてもかっこいいです。ここまでが長すぎるので岩融の部分は省略するんですが、岩融は加州清光の成長の物語と今剣の矛盾の物語をつなぐパイプの役割をしていますね。加州は隊長でありながら今剣とほとんど関わっていないんですけど、成長した加州との対話によって成長した岩融が今剣を救うことで隊全体に影響を及ぼしている加州を描くことができています。

岩融は準主演と書きましたが初めからある程度の答えは持ったうえで与えられた課題に臨んでいますね。弁慶との対峙もとまどいつつきちんと弁えています。序盤での弁慶との対峙で微かに感じさせた躊躇いを、後半では三日月との対話をへて自分の役割そ再認識し、吹っ切って弁慶と対峙しています。(実は三日月宗近は何も言ってないんですけどね。)

岩融は今剣が自分の説教を受け入れなかった理由の理解も非常に早いです。頭がイイ、とにかく。

岩融のストーリーは岩融の理解力と吹っ切り力があまりに高いのでいつもポンポン進んでいるし、最後は今剣とともにあるという自分なりの役割を見つけだし、今剣の物語と自分の物語に大団円を齎します。尚私が刀ミュで一番好きな台詞は岩融の「かつての主が強くてな!!!!」です。あー、最高・・・やっぱり主役は彼なのかも・・・。

みなさんも刀ミュでおすすめの台詞あったら教えてください。

 

◆助演の見事さ:三日月宗近と小狐丸について

刀ミュの脚本に共通する点なんですが、「ストーリーの主軸にほぼかかわらないサポートキャラ」が必ずいて、そのキャラは「例外なくめちゃくちゃハチャメチャに魅力的」だという話です。幕末天狼傳での堀川国広と和泉守兼定や、三百年の子守唄のにっかり青江のように。彼らは一貫して葛藤せず、物語が上手く動くように潤滑剤としての役割をこなしつつ、悩める小羊を見守ります。ここは刀ミュのすごくいいところだと思うんですけど、作中で克服できない悪印象なら作中に引用しない。キャラの株を下げない、そういう脚本作りをしているなと私は思います。たとえば堀川や和泉守なら、前の主である土方さんを前にしたら回想の件もあるしもっと動揺したり葛藤したりしそうじゃないですか?でも幕末の主役は「安定」と「長曽祢」と「蜂須賀」だったので、堀川や和泉守は自分の泣き所については徹底して言及しません。不用意に「前の主」との絡みを出すことで、サポートキャラに不安定な印象を与えるのをよしとしない。

阿津賀志山もここまであらすじを書くと、小狐丸と三日月の話はほぼほぼ出てこないですね。三日月は岩融のサポートキャラなのに岩融のパートを省略してしまったばっかりに出番がほぼ皆無となりました。この二人は徹底してサポートに回る大人の役なので物語の主筋に絡んで葛藤したり答えを出したりはしません。その姿はめちゃめちゃかっこいい。

阿津賀志パンフの対談に、小狐丸はセクシーな役、というフレーズがあるんですが、まさにそれ、役者ってみんな天才なのかな?と私は思った。小狐丸は全体を見渡している大人で、とてもセクシーなんですよ。大好きです。推しです。三日月も作品の顔としての立ち位置は守りつつちょっとお茶目な面もありつつ、岩融や加州に対し細やかな気遣いをしていてすっごいかっこいいですね。

◎何も言わない三日月宗近

この本丸の三日月宗近はハイパー脳筋だなと私は思います。考えるよりやり合うほうが性に合っているのでしょうね。岩融に発破をかけるシーンを見てみると、岩融に自分から喋らせているだけで、三日月は何も言わない。印象的な「俺は言葉は信じぬ性質でな」という台詞も語感ほど示唆に富んでません。多分言葉で語りかけるより殴り合った方がすっきりするから取り敢えず斬りかかったよそんな警戒しなくていいよ。ぐらいの意味かなという気がします。文脈が取れないし。仕合を通じて口が解れた岩融は自分の葛藤をするする言語化し、三日月は唐突に舞います。

この返歌も、実は何も言ってない歌詞ですね。本当に何も言ってないので驚きます。清々しいほど・・・。ただ天下五剣いち美しい三日月の舞に感ずるところがあったのか、岩融は三日月に何かを語りかけようとするのです。しかし三日月は「自分の好きにしろ」とやさしく言ってその場を去ってしまうんです。うーんセクシーだな三日月宗近

◎ほかにも歴史上の人物が魅力的過ぎて義経役のアラケンさんに嵌ったとかいろいろあるんですが、長くなりすぎているので省略。

総括:

岩融の台詞に「すべてを受け入れていくしかない」というのがありますが、刀ミュのシリーズを貫く精神はこれだと思います。「受け入れていくしかない」。阿津賀志山のパンフレットで今剣役のおおひらしゅんやくんも言っていましたが、序盤の「史実」の時点で物語は終わっていてどうしようもないのです。そしてそのどうしようもないことを理屈ではなく心の交流を通じてなんとか割り切り、役目の為に前へ進む。与えられた役目をどうすることもできないが、今剣に「お前は何も悪くない」といい、「自分の傍にあることが今剣の役割」だと言いきった岩融。葛藤を抱える石切丸に「あんたの気持ちがわかる」という加州清光。幕末では非情な現実に直面する長曽祢に蜂須賀が「もう見なくていい」と言い、三百年では青江が石切丸に「一緒に笑うことぐらいはできる」と語りかけます。

「望むものを選ぶことが出来なくても、「人」の心に救われることはできる」それがミュージカル刀剣乱舞すべての作品に共通するテーマであると思います。

初めに設定された主人公のストリーにあわせて作中の登場人物のエピソードを交差させ、全員が大団円にむけて走り抜けていく脚本構成は、本当にわくわくするしすっきりするし、なによりとても感動します。これを書きながら「刀ミュ大好きだなあ」という気持ちがもりもりわいてきました。

課題は細部が雑なところですね。会話と会話の継ぎ目もそうですが、描きたいテーマが先行して丁寧さに欠ける部分が散見されます。阿津賀山異聞は特に。あと幕末でもあるんですが「敵の狙いがすぐ判明しすぎ問題」なども見られます。そして任務や敵が派手すぎるというのもまあ見る人にとっては眉を顰める原因になるかもしれません。

でもそんなことは些細なことです。ミュージカル刀剣乱舞には、「至るべき大団円と、描きたいテーマ」という圧倒的な力があるのです。これがある2.5次元舞台は実はとても少ない。刀ミュはこれまでにない2.5次元を目指しているようですが、それを飾るのにふさわしい脚本であると思います。

是非これからも躍進して、東京ドームで公演してください。2017年もらぶフェスやってください!!!!!